コロナウイルスの影響により
自宅にいる時間が増えている。
おそらく、都心では世の人々が自宅にいる時間が増えている。
これは劇的に世界が変わる局面に、我々は直面しているのかもしれない。
まさに過渡期。新しい時代。NEW ERA。
毎朝とち狂ったように満員電車で揉みくちゃにされながら
通勤という地獄に明け暮れていた日々が懐かしい。
この状況で家族との時間を楽しむお父さんもいれば、
「突然、家に旦那が長時間いて困る」
と、奥様から煙たがられ、行先を無くしている悲しいお父さんもいる。
実際、私の上司も
「妻からうざがられている」
と冗談半分で嘆きをぶつけてきた。
しかし、それは愛が足りていないのかもしれない。
クレイジーな通勤、家族との関係。
一度大切なパートナーのニーズウォンツを分析し、あえて1度微分した後の仕上げにインテグラルを添えたら何かわかるかもしれない。知らんけど。
一般的なサラリーマン家庭であれば、
例えばオッサンが朝の7時に家を出て、早ければ19時頃に帰ってくるだろう。
24時間のうちの12時間は外出しており、さらに6時間は睡眠を取るとすると、
自宅で共に過ごす時間は残りの6時間となる。
驚いたことに、パートナーとの時間は1日のたった25%しかない。
それが、突然自宅に18時間も旦那がいると、たしかに奥様の生活リズムも狂う。
突然、1日あたりの旦那との接触が3倍の濃度となり、
関係性が良好でなければストレスが溢れ出すのも仕方がない。
人間は、驚くほど環境の変化に弱い。
上記の例で行くと、単純計算で突然1日に3人の旦那に囲まれているようなものであり、それは、たしかにストレスかもしれない。
それはおそらくカルピスも一緒のようなもので、
突然原液が3倍になると、ちょっときつい。
万物には適正な濃度が存在しており、そのバランスが崩れると人は多大な精神的不可を強いられるが、このカルピスの例えは例えのレベルとしては非常にイマイチであることを自覚しながら今この文章を終えようとしている。
一方、うちの鬼嫁エリカは、
私と一緒にいる時間が増えてそれはもう喜んでいる。
はずだった。
だが、当然ではあるが、
「ただ家にいるだけ」では意味がなかった。
むしろ、エリカの不満もまた蓄積される一方であった。
普段から備蓄されている不満に、
さらに不満が蓄積される。
エリカのタンクはキャパが小さい。
我が家の場合、家にいるのであれば、
常に相手をしていなければならない。
少し不適切な表現かもしれないが、
ハイエナのように愛情を求めてくるエリカ。
「逆に、家にいるのになぜ相手をしないのか?」
という、一見至極正論に見える主張をされるのだが、
家に居るとはいっても仕事をしなければならない。
もともと私は、
エリカが風呂を上がるタイミングに
洗面所に居ないだけで、
「ブタ」と呼ばれ始める。
あなたは、パートナーからブタと呼ばれたことがあるだろうか。
あるいは、パートナーをブタと呼んだことは
あるだろうか。
私がかろうじてこの屈辱に耐えている最も大きな理由の一つは、
なんとか平均的体重を保ちながら生存しているからであろう。
風呂上がり、
「ムコドノ??」と呼ばれ、
カウントダウンが開始する。
10…
9…
…
2…
1…
そのカウントダウンにコンマ数秒でも遅れると
「ブタ」と呼ばれ始める。
ブタ。
ここで、まずは人権が剥奪される。
加えて、相手をしない時間が1時間を超えると、
わたしは「うんこ」と呼ばれ始める。
化学的でない何らかの経時変化により、私はブタから排泄物にランクダウンし、
「うんこ」若しくは「道端のうんこ」と呼ばれる。
(ここで、生命としての尊厳も剥奪されている)
鬼嫁の相手をしないのならば、
家庭内で「存在価値なし 」ということ。
おっと、なかなか過酷じゃないですか。
正確には、畑の肥やしくらいにはなるので、
価値の低いATMのような存在となる。
なんというワンダフル夫婦生活。
「(うんこ的に)恥の多い生涯を送ってきました。」
太宰治のようにそう言いながら、晩年は筆をとるのかもしれない。
うんこと呼ばれた挙句、
「もう根に持ったから、、、
根に持ったから!」
エリカはそう主張して、根に持ってくる。
根に持つとは一体なんなのか、
はたして根に持たれる筋合いがあるのかはわからないが、概ね、私は根に持たれている。おそらく、世の中は根に持ったもん勝ち。
さらに、
「エリカの精神年齢は5歳以下だから、
これ以上期待しないで。」
という謎の宣告を受け、私はまだ消化しきれていない。
独身の友人にこの話をすると、
「うんこと呼んでくれる相手がいるだけでも幸せじゃないか」
などと一見それらしいことを言ってきたが、
うんこと呼んでくれる相手がいて幸せというのは多分ちがうし、その発想に至っている友人はたぶんやばい。
とはいえ、
そこまでしてムコドノを求めてくるエリカは愛が想像を絶するほど深く、おそらく深海の深さなど取るに足らないレベルであり、罵詈雑言は間違いがなければ愛情の裏返し。
言葉とは受け取る側の問題でもあり、わたしがポップに受け止めれば
うんこという言葉もたちまち愛に溢れ始める。
ということは、一見それらしいことを言ってきた友人は
やはり正しいのかもしれない。
普段は罵詈雑言を発するエリカは、素直で可愛い一面がある。実にプリチーだ。
うんこと呼んでくれる鬼嫁を私は愛している。
うちの鬼嫁ハンパねえ