「えりちゃん、どこ行きたい?」
このような私の質問に対して、概ね
という答えが返ってくる。
しかし、アフタヌーンが来るたびにアフタヌーンティーを嗜んでいては財布がもたない。とはいえアフタヌーンは毎日訪れるものであり、
アフタヌーンが毎日来るからこそ
人はその生を実感できるものだが、いかに休日のアフタヌーンにアフタヌーンティーに行かないかが最近のイシューである。
既報の通り、エリカの金銭感覚は通常のそれを凌駕しており、彼女の思考回路からはコスト意識のみが急速に消失する。
彼女はリッツ・カールトン、シャングリラ、コンラッド等、有名どころのアフタヌーンティーが大好きであり、
「腹一杯ケーキを喰いてえ」
と仰せになられる。
お金の使い方には浪費、消費、投資があり、
サラリーマン家庭であれば一人当たり4,000円のアフタヌーンティーで
「お茶❤️」と称して
猛烈に食欲を満たすことは、
どちらかといえば"浪費"と分類されるはずであるが、
彼女はこれを"投資"と言い張る。
確かに高級ホテルの高層階ティーラウンジの雰囲気は地上の喧騒とは一線を画しており、優雅で富饒なる雰囲気が溢れ出している。
洗練されたサービスと雰囲気を存分に味わい、丁寧な接客から学べることも多い。
かつ、そのような空間に身を置くことで自身の肯定感は上昇し、「もっと頑張ろう」などと生気と活力が漲ってもくる。
ということは、
ここで一つの問いが生まれてくる。
「一体いつからーーーーー
鬼嫁に消耗させられていると錯覚していた?」
これはエリカの卍解であった。
ということは、私は鬼嫁からの
「ワンピース買って❤️」
「時計買って❤️」
「金くれ」
という日常的な他の金銭的要求も含めて、
"消耗させられていた"という錯覚をしていたことになる。
私は浪費させられていると錯覚をしていたのだ。
つまり彼女は単なる私利私欲と抑えきれない物欲ではなく、
圧倒的な霊圧と視座の高さで私に金銭的要求をしているに違いない。
そしてーーーーー
全てはエリカのおかげなのである。
もし、あなたも家庭の中で消耗させられていると思っているのならば、大きな勘違いをしている。
あなたも錯覚しているのだ。感謝が足りていない。
そもそも消耗させられているという
考え方自体に誤りがある。
自分の人生は自分で選択を積み重ねて出来上がるものであり、
その選択の結果の責任を他人に転嫁していては、自らは何も切り拓けないものである。
また、相手との深い人間関係を作り上げるものは、その人間に対する究極の"理解"である。
自分以外の人間を受け止めること、それどころか自分自身を受け入れることに関してさえ、どれだけ深く理解が出来ているかどうかに因る。
エリカの
「アフタヌーン行きたい❤️」には、私には計り知れないナニカが潜んでいるはずだ。
これはつまり、私は幾度となくアフタヌーンティーに行くべきだという結論に帰結する。
アフタヌーンが来るたびにアフタヌーンティーに行くことで英国の上流階級文化を理解し、妻の愛を享受し、アフタヌーンティーの真価を知り尽くして初めて、アフタヌーンティーに行くべきかどうかを語ることが出来る。
モーニングに通い始めれば良い。
早起きをすることの絶大なる効果は"全てが上手く回りだす"と言われる程の、もはや説明不要のレベルであり、そのコストパフォーマンスはアフタヌーンティーとは比べ物にならないくらい
良い。
感謝と朝活、しましょう。
うちの鬼嫁ハンパねぇ。